私は最近、ハイレゾ音源について考えることがあります。
一般的に、CDは44.1kHz・16bit、ハイレゾは192kHz・24bitなどの高いスペックで記録されています。
理論上は、ハイレゾの方がより細かな情報を記録できるため、高音質であるとされています。
しかし、私は最近、少し違った見方をするようになりました。
CDの44.1kHz・16bitという規格は、決して不十分なものではありません。
むしろ、人間の耳が音楽として感動するために必要な領域を、十分にカバーしている規格ではないかと思うのです。
だからこそ、40年以上経った今でもCDという規格が現役であり続けているのでしょう。
その上で、ハイレゾという存在を考えてみます。
私は、ハイレゾはCDより高音質というよりも、CDの上に設けられた「余裕」や「マージン」のようなものではないかと感じています。
CDが十分な性能を持つ基準点だとすれば、ハイレゾはさらにその先まで記録できる器です。
ただし、その器の大きさと、実際に中に入っている音楽の質は別問題です。
どれほど大きな器を用意しても、録音やマスタリングの内容によって、その価値は大きく変わります。
優れたマスタリングが施されたCDが素晴らしい音で聴こえることもあれば、高スペックなハイレゾ音源が期待ほどの違いを感じさせないこともあります。
結局のところ、私たちが聴いているのは数字ではなく音楽です。
そして音楽は、録音やマスタリングによって大きく左右されます。
そう考えると、ハイレゾで聴こえる違いのすべてが、192kHz・24bitというスペックによるものだと言い切ることはできません。
そこにはマスタリングの違いも含まれているかもしれません。
さらに言えば、人は耳だけで音楽を聴いているわけではありません。
「これはハイレゾ音源だ」と知って聴くことによる満足感や期待感も、音楽体験の一部です。
私はそれを否定したいわけではありません。
むしろ、それも音楽を楽しむ大切な要素だと思っています。
だから私にとってハイレゾの価値とは、単純な音質の優劣ではありません。
より大きな器で音楽を受け取っているという安心感や満足感。
そして、その先にある音楽との向き合い方。
ハイレゾの真価は、スペックそのものではなく、そうした心の豊かさの中にも存在しているのかもしれません。