最近になって、当たり前のようでいて、とても大切なことに気付きました。
それは、人と人とは本当に違うということです。
育った環境も違う。
家族も違う。
経験してきたことも違う。
仕事も違う。
立場も違う。
そして、見えている世界も違います。
子供の頃は、同じ学校へ通い、同じような環境で過ごすことが多いため、人との違いもそれほど大きくは見えません。
しかし、大人になるにつれて人生は大きく枝分かれしていきます。
会社員として生きる人。
経営者として生きる人。
家庭を持つ人。
独身で生きる人。
子育てをしている人。
介護をしている人。
同じ年齢であっても、その人が見ている世界は驚くほど違っています。
私は以前、人はどこかで自分と同じような感覚を持っているのだろうと思っていました。
しかし今は違います。
自分と全く同じ感覚を持つ人など、一人もいないのだと思っています。
もちろん、価値観が近い人はいます。
家族や親しい友人など、共感できる人もいます。
それでも、その人はその人の人生を生きてきたのであり、完全に同じ感覚になることはありません。
そう考えると、一歩家の外へ出れば、自分とは違うものばかりなのです。
目の前にあるお店も、自分とは違います。
そのお店を作った人も、自分とは違います。
街に建つビルも、自分とは違います。
そのビルを設計した人も、運営している人も、自分とは違います。
道路を走る車も、自分とは違います。
その車を運転している人も、自分とは違います。
社会とは、自分とは違う人たち、自分とは違う価値観、自分とは違う人生で満ちています。
そして私は、このことに気付いた時、なぜマナーやモラル、ルールが大切なのかが少し分かった気がしました。
もし人が皆、自分と同じ感覚ならば、そこまで配慮は必要ないかもしれません。
しかし現実には、人はみな違います。
自分にとって何でもないことが、誰かにとっては不快なこともあります。
自分には当たり前のことが、誰かにとっては当たり前ではないこともあります。
だからこそ、人を傷つけないための配慮が必要になります。
だからこそ、社会にはマナーやモラル、ルールが存在します。
それは人を縛るためのものではありません。
違う人同士が共に生きていくための知恵なのだと思います。
そして、その根底にあるのは敬意です。
あなたは私ではない。
私には見えない世界を生きている。
だから私はあなたを尊重する。
その気持ちが、人としての礼儀や思いやりにつながっていくのだと思います。
人は皆違います。
だからこそ争うのではなく、違うからこそ理解しようとする。
違うからこそ敬意を持つ。
私はそれが、人としての美しい在り方なのではないかと思っています。